文永の役再考・モンゴル軍早期撤退の謎

『歴史を読み解く・さまざまな史料と視角』「文永十一年冬の嵐」正誤訂正 2頁 後ろから四行目 読むべきものと考えられる。 *28頁にて「これまで風は「会夜」二十日の夜に吹いたとしてきた。しかしそれにしては京都への伝達が遅いのではないだろう か。」として否定しているのだが、読者に誤解を与えやすい記述であった。「(著者が)二十日の夜に嵐が来たと解釈している」と誤読される場合があるので、 以下のように訂正したい。 正 2頁 後ろから四行目  読むべきものとして考えられやすい(この点は28 頁に後述する)。 20頁 6行目 『高麗史節要』によるならば、その夜、嵐が襲ったことになる(実際にはこの夜ではなかった。28頁参照のこと)。


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