服部英雄のホームページ 峠の歴史学を歩く会 第3回・よみがえれ相良殿さま道・アゼチ道(照角山越え)と西南戦争の遺跡
熊本日日新聞2008,6月3日朝刊週刊ひとよし517、2008,6月8日
人吉新聞、2008,6月3日
5月31日六本松九大発8時15分の予定、TA(チィーチィングアシスタント)のKくん大幅遅刻・8 時5分あまりに遅いので電話したら、なんとまだ寝ていた。彼が飛び乗ると同時に出発。 休憩1回のつもりだったが、運転手が緑川SAで休むというので、当初の山江SAとあわせ て二回休憩が必要ということになった。おまけに2号車では休憩戻りの時間を指示しなかった ので、15分たっても学生が戻ってこない。大幅に遅れる。10.45人吉現地隊と合流の約束 が30分以上の遅刻。人吉隊との合流をあきらめ、山江SAから携帯で鶴島さんに電話。新聞社 が待機しているのですが、という返事。しかしこれ以上待たせるわけにはいかない。人吉 インター経由で人吉市上原田町の登山口にある稲荷社に11時10分。広田さんがおられた。 殿さま道について説明をしていただく。道は前回(下見)よりは格段によくなっていたが、 川のようになった道は薮のまま。その中で、格闘しているうちに本道を見失って林道の横 を登ってしまった。ここは左に大きく曲がる道なりに行かなければならない。堂ノ尾にて やっと合流。12時すぎていた。 後発隊と携帯で連絡。ヤマダニ(山だに)にかまれた学生がいると騒いでいる。そのM 君、登場、マニュアルにストッキングが有効と書いておいたのに、なんと素足。マニュアルには ダニにかまれた場合の民間療法として、煙草(タバコ)のヤニをすりつけると書いておい た。むろん生きたまま落とすという意味であり、ダニが死んでしまうと爪が残ってしまう。 しかしいまはキセルで煙草を吸うこともない。学生たちは煙草のヤニ自体を知らない。 「煙草のヤニ」を「煙草のけむり」と勘違いしたらしい。煙草をすう子はいなかったけれど、 マッチを持っている子はいた。そこでダニをマッチで燃やした。火炙りになってダニは死 んだが、ツメは残ったままとなった。ダニは死ぬほど苦しくてもツメをくい込ませるらし い。M君の足も火炙りになって、軽いやけど。ピンセットを持っておられた方が、消毒して足 に食い込むダニをつめごと除去してくださった。この間Mくんはカメラを向けられっぱな し。のちのちまでも話題にされてこの日の主役だった。 昼食の間、端にいたいなむらさんが地元新聞の取材を受ける。 それより照角山に向かい、道路脇に水が貯まった箇所まで行く。広田さんの話ではナバ を とるほだ木を沈めてつけていたところだという。たしかに近くに椎茸(ナバ)があった。 だが水の貯まりやすいところだったから昔から利用はされていよう。 わたしは馬の水飲み場はこうした場所に作られるように思っている。なおビン水(鬢水) は堂の尾の手前、いまは枯れているが掘れば水が出るそうである。そこも馬の給水所であ ろう。 堂の尾一帯には胸壁が多く残る。5月31日照角山を下った新政府軍は、疲弊していない 西郷軍精鋭に逆襲されて再び照角山に上がったという。人吉方面に向けて胸壁が構築され ることもあったのであろう。 下山後は青井神社。ここで奉賛会の方から懇切ていねいな説明を受けた。 そのあと元湯温泉へ。学生たちにもたいへん評判がよかった。わたしが源泉をがぶがぶ 飲むのを見て、まねした学生(おがたくん)は吐き気がしたといっていた。おいしいのに。 そのあと人吉城を散策してバスで九大まで。 8時近くになって六本松到着。そのあと反省会。多いに盛り上がった。
登山口馬草野にて
隊列を乱しているのが山ダニ被害者M君
堂ノ尾(ドノオ)
堂ノ尾(ドノオ)、人吉側に向けて作られた胸壁の跡。左手、木の陰
掘り割りになったところもある。
人吉の方々