保立道久『義経の登場』NHKブックス
 源平の時代、鎌倉幕府の成立を考える時、わたしたちははじめから源氏の統領たる源頼
朝がいたとか、その側近にはナンバーワンの北条時政が控えていたとか考えがちだが、そ
うではない。それは勝者となったものが書き残した記録によっているからにすぎない。頼
朝や時政になる可能性を持った人物はいく人もいた。ワンノブゼムの頼朝や時政は同格の
ライバルを打倒していったのである。
 NHK大河ドラマの影響で、書店店頭に「義経もの」がずらりと並ぶ。驚く
ほどの点数がある。読者のニーズに応じて内容もさまざまである。いわゆる概
説書にはこれまでいわれてきたことをなぞり、焼き直しただけというものが多
い。もし最新の研究をふまえた著作をのぞむなら、あるいは通説にはない像を
求めたいのなら、本書は推薦したい1冊である。
 冒頭に「補助線」として用意されたのは「伯耆王子」あるいは「平泉姫宮」
なる人物である。ともに後白河法皇御落胤なのだが、研究者にとっても初耳の
人物を、木曽義仲が担ぎ上げた北陸宮*になぞらえる。歴史の流れによっては
安徳天皇にもなりうるし、後鳥羽天皇になりえたかもしれない人物が、動乱の
時代にはいくらでもいた。
 源義経の母常磐については、頼朝母正室、常磐側室という図式に再検討を迫
るため、常磐が仕えていた九条院の人間関係に焦点を当てる。九条院とは近衛
天皇中宮藤原呈子のことで、八歳年下の病弱な天皇に嫁ぎ、二三歳の時に想像
妊娠したと筆者はいう。源義朝は九条院(皇后宮)の侍を掌握するため、九条
院に奉仕するなかで九条院雑仕・常磐を妻にし、平清盛は九条院権大夫(長官)
就任を出世・飛躍の足がかりにするため、愛人常磐を一条長成の妻に再嫁させ、
九条院にとりいった。伯耆王子も平泉姫宮も九条院関係者だという。全体に人
間関係がこみいっているが、血縁関係、職場の人脈を徹底的に洗う著者の方法
が新事実を発見する。読者としていえば、補助線が通奏低音ではなく主旋律で
あればわかりやすかった。また仕掛け人たるNHKブックスへの期待からいえ
ば、義経登場後も語ってほしいという意見もあるだろう。(服部英雄)

(*後白河三男以仁王の皇子)


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