服部英雄のホームページ

07のさくら

  写真は高野山清浄心院・傘桜4/21

3/21  開花宣言は昨年より二日早かった。平年より5日早いとのこと。 標本木というのはよほどにはやく咲く桜なのであろう。標準的な木を標本にしたら、すでに咲い ているではないかとの苦情が気象台に殺到しよう。早咲きならそんな苦情はこない。 でも舞鶴城では3,4日ほど前から1輪2輪と咲いていたけれど。 近所の公園のつぼみはまったく堅い。 3/30  廃線となる西鉄宮地岳線に乗って、津屋崎の唐坊展示館に行ってみたいと考えた。 新宮から先、だんだん減って、二両編成の電車に乗っているのは各車両2人、4人 ほどになってしまった。どの駅にも桜がたくさん植えられていて、8分咲きというところ。 後尾に立って線路を見ていると、複線分の幅員が十分に確保されている。橋梁工事も複線巾を考 慮して行われている。先人の意気込みだけは十分に偲ばれる。けれどもついに未来への資産が活 用されることはなかった。廃線の背景には、こうした不用資産の維持管理があったのかもしれな い。  津屋崎駅には三脚を持ったマニアらしきカメラマンが何人かいた。遅れて一人で出たら、テレビ カメラが待ちかまえていた。公民館に立ち寄って南さんからお話を聞き、小字の地図をいただい たあと、津屋崎小学校に向かった。 学期末で展示館には作業される先生方がおられた。展示内容はりっぱなもので、「綱」の墨書土 器や木簡の実物、越州窯系青磁の大型碗が惜しげもなく展示されていた。土日には入れないと聞 いていたので、いままで来訪する機会を逃していたが、悔やまれた(実際には教育委員会に依頼 すれば可能のようだった)。 パネルのなかに自分が書いた毎日新聞の唐房記事が張ってあったから驚いた。窓口になってくだ さった学校の先生に、この写真は私ですといっておいた。お嬢さんが九大に入られたとのことで、 話が弾んだ。  いまは高田牧に関心がある。平安時代に中国(宋)貿易との拠点となった牧である。この唐坊を はさんで東に在自(あらじ、唐坊のある村)に牧口明神、西に渡に牧明神があることにはうかつ にも帰宅してから気が付いた。ただちに再度の訪問の必要が生じたわけだが、もう鉄道はない。 帰りは赤坂駅から福岡城の桜のなかを大学へ。夕方、異動になった大学院係の岸本さんたちと六 本松周辺の桜をみた。 4/2  昨日の雨で花が散ってしまうのではないかと気が焦る。六本松の二本桜・通称高田桜のもとで花 見。昨年に続いて工営係がライトアップしてくださった。異動者の歓迎会を終えた事務の人たち も加わって、楽しい会になった。時々花吹雪が舞う。この夜の桜は本当に美しかった。 この桜もあと2年(九大移転)で切られるのだろうか。 4/4  花冷え。地下鉄駅から城内へ土手をあがるとさっそく花吹雪。御鷹屋敷もみごとな花吹雪。しか し冷え込んでいるから一気には散らない。本丸へ。今年は枝垂れがさみしい。枝先に花が少ない。 数年前にはあれほどに見事だった花が、いくらか衰えているように思う。 護国神社の酒樽の上の二本の桜も昨年ほどの妖艶さはなかった。花も人も、毎年ちがっていくの は当然かもしれない。 4/7  お昼に南の丸へ。李先生が「花見は酒」といって、バランタインを持ってきた。土曜日でもあっ たから、昼から酒盛りになった。花吹雪が見事。 4/12  今年は一気に花が散らなかったので、おほりの花筏がほとんどみられない。  夕方5時から、市美術館駐車場で花見。八重桜がとてもきれい。中国人の3人連れ、あるいは デジカメを持った人が盛んに写真を撮っていた。だんだん車が少なくなってわれわれだけの世界 になる。通行している人から、「服部さん」と声をかけられた。まえの市教育長で、いま美術館長 の生田さんだった。暗くなって東くんも参加。ここは地面のアスファルトが暖められていてオン ドル効果がある。卓上照明台がとても有効だった。 4/20 吉野へ。新大阪にて柄谷合流、阿倍野から橿原神宮にて清水合流。 近鉄吉野からバスで中の千本、それより歩く。蔵王堂の見えるところ、花矢倉下で、昼食。 葉桜で残念。水分(みくまり)神社、枝垂れが少し残る。本殿には中央に一体、両脇に三体、計七体 の神様がおられる。正面は幣殿とのことだった。金峯神社、そこから西行庵。ここが奥の千本と のこと、千本はないが数十本の桜はそれなりに美しい。桜餅を食べる。高城山を経て、下山。ホ ラ貝を売っている店が二軒あって、五万円だった。さこやはそれなりに風格のある宿で、たぶん 特別割高料金だからだと思うが、例の「虫さんも葉っぱさんもいっしょ」の露天風呂に樽酒が置 いてあった。升がゆるんで勢いよく酒が漏れてあせる。しかし美酒だった。夕食の榛原肉のレアもおい しい。 4/21  朝はわたしの睡眠時無呼吸症候群のはなしでひとしきり。この話題は夕方の新幹線まで続いた。 蔵王堂の常香盤を見せてもらうことができて、時間がなくなり、車で駅まで送ってもらう。 高野へ。ケーブルからも、バスからも山桜が美しい。山上に降り立つと肌寒かった。大門から歩 き始める。 桜池院東側の塔頭・成慶院庭の桜がみごと。酒もちを食べる。伽藍、大塔、金剛峯寺へ。ここに も現役の常香盤があることがわかる。六時の鐘前(金剛峯寺前)のさくらを見ながら昼食。その あと拝観料を払って常香盤の使い方を説明してもらう。外に出て「般若湯」の看板があって、某先生にど んなお風呂なのかとたずねられた。金剛三昧院門外のさくらは満開、塔の前の桜はちらほら咲き。 一の橋手前の清浄心院の桜は見事だった。門をくぐると、傘桜とあって、秀吉が読んだ句があった。 才をへて 老木の花や 高野山  秀吉が見たときにすでに老木であったという。もしその木が本当にこの木なら、傘桜の 樹齢は何年になるのだろう。 後日ネットで見たが、われわれがそうであったように、吉野の桜が終わっていて、高野の桜で満 足したという人は多いらしい。


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